妄想でもしてみよう

物語を書くのは久々。



『オレンジジュース』



道がわからなかった。
もう30分以上歩くのに駅はみつからない。
慣れないサンダルなんか履くんじゃなかった。
いかにもデザイン重視のサンダルは足先にやたら食い込んでくる。
首から下げた一眼レフの重みすら靴擦れへの負担になっている気がした。
道を聞こうにも人は少なく、皆自転車に乗っている。
足の痛みで脂汗が吹き出た。
意識朦朧とする中で必死に人影を探した。
そしてようやく、自動販売機に自転車を止めている男性をみつける事が出来た。
私は嬉しくなって駆け出そうとするが、地面が痛くてその場に転んでしまった。
恥ずかしい。
その人に話しかけるのは諦めようと思っていた。
顔をあげられないで地面をみていると、一つ影が近づいていた。
「あの、大丈夫ですか。」
男性が手を差し伸べる。
でも、恥ずかしさのあまりその手を借りようとはしなかった。
「大丈夫です、から」
そう言って自力で立ち上がる。足の痛みが一気に戻ってきた。
早く家に帰りたい。そう思った。
「あの、駅ってどっちにあるか教えて貰えますか」
「あ、俺も駅行くんで送りますよ。ちょっと待っててください」
男性は自転車を動かした。
「こっちですよ」
自転車を引いて私が今来た道の方を向いた。
「有難うございます・・・」
男性の隣について行く。右足を庇っているので歩き方が少し変だ。
でも失礼の無いように頑張って歩いた。
男性は自転車には跨らずに私の歩調に合わせて歩いてくれる。
とても申し訳ない気分になった。
「あの、折角自転車なのに歩かせてしまってすみません・・・」
男性は笑う。
「いいんですよ。急いでませんから」
20代後半、だろうか。とても落ち着いて見える。
シンプルなTシャツにカーゴパンツとハンチング、黒ぶち眼鏡。
いい人でよかったなあ、と思いながら歩いていた。
「足、大丈夫ですか」
「え?」
「相当歩いたみたいだから」
平然を装っていたけどやはり感づかれていたようだ。
変な汗はかいてるし、歩き方変だし。
「・・・大丈夫です」
また恥ずかしくなった。
やっぱりサンダルなんか履くんじゃなかった。
今更後悔しても仕方ない事ばかり考えていた。
駅までまだ歩くようだ。
気を緩めるときっと痛みで声をあげてしまうだろう。
緊張状態が続く。
「あの、ちょっと休んでいきますか」
「はい?えっと・・」
「急いでるなら、いいんですけど」
恐らく、私の足を気遣っての行動だろう。
なんだか申し訳なく思えてくる。
「いや、そういう訳じゃなくて・・足なら別に」
「俺、喉渇いちゃって。いきましょう!」
私はさっき水のペットボトルを買っているのを知っていた。
半ば強引だが別に嫌じゃなかった。
自転車を止めて一軒家を改造したような喫茶店に入っていく。
古ぼけてて人は少ない。窓際に座った。
「ああ涼しい!すみません、メニュー下さい」
机の下でサンダルの紐を緩めた。
男性はメニューを見ていた。
「あの、何にしますか?」
「オレンジジュースありますか?」
私はメニューを見ずに答えた。
「すみません、アイスコーヒーとオレンジジュース下さい。」
奥で店員が返事をする。
男性は帽子を取った。
そしてポケットの辺りをゴソゴソして、一瞬何か考えた様に止まって、手を机の上に戻した。
多分タバコを吸うか吸わないか迷っていたのだろう。
「・・・タバコ、吸いたかったらどうぞ」
灰皿を男性側に差し出した。
「・・・どうも」
図星だったようで、ポケットからタバコの箱とライターを取り出した。
一本加えて火をつける。吸って暫くして、煙を吐き出す。
私はこういった仕草を見るのが好きなようだ。
男性がこっちを見てタバコの箱を差し出す。
「吸います?」
「あ、いや結構です。・・・一応未成年なんで」
男性が驚く。
「え、未成年?大人っぽいなあ・・・」
急にタメ口になった。子供扱いされてるようだった。
「とは言っても来月で二十歳になりますけど。」
「へえ、俺は23だよ。・・・見えないって言われるけど」
確かに見えない。27くらいに見えるほど落ち着いている。
コーヒーとオレンジジュースが来た。
店内にはクラシックの有線が流れていた。
足の痛みも靴の締め付けから解放され少し楽になってくる。
少しボーっとしていた。
「写真家とか目指してるの?」
不意に聞かれ、少し驚いてしまった。
男性が笑っている。
また恥かしくなった。
「いや、これは単なる趣味で・・・」
首から下げてた一眼レフを机に置く。
「いいカメラだね」
カメラを撫でる。
「解るんですか?」
「あー、俺もちょっとやってたから」
ふと、気がついたことがある。
名前についてお互い聞こうともしないのだ。
恐らくこれ以上深く関わることはないと確信していた。
その後も適当な会話をして、適当に時間が流れて行った。
5時の音楽が町中に響いた。
「ああ、もうこんな時間か。」
男性が帽子をかぶって荷物を肩に提げた。
私はサンダルの紐を再び結う。
立ち上がると先ほどよりは若干痛みが減ったようだ。
カメラを提げ、荷物を持って出口に向かうと男性は支払いをすませていた。
「あ、お代払いますよ」
「いい、いい。俺にご馳走させて。」
カラン、とドアのベルが鳴った。
自転車の鍵を開けて、再び駅に向かう。
他愛ない会話を繰り返していた。
さっきの店のコーヒーがまずいだとか、店員の愛想がないとか。
お互いのことも色々話した。
名前以外は。
暫くして駅に着く。
「今日は、色々ありがとうございました。」
深々と頭を下げて礼を言った。
「いや、俺こそ。なんか楽しかったよ」
「私も、楽しかったです」
「・・・それじゃあ。」
背を向け合い、私たちは別れた。
私は振り返ることもなく、エスカレーターを上りきる。
発券機に120円入れて、切符を購入して。
改札を通ろうとした。
足がとまった。
涙があふれてくる。
「お姉さん、邪魔だよ」と老人にどかされる。
切符を持ったまま。
走り出した。
エスカレーターを急いで下りる。
駅の入り口に向かって、あの人影を探した。
やっぱりもう行ってしまったようだ。
その場にしゃがみ込む。
誰かが頭を撫でてきた。
「・・・何、やってんの」
顔を上げる。
さっきの男性だった。
どうやら喫煙所で一服していたようだ。
きっと私は酷い顔をしているだろう。
でももうどうでも良かった。
「名前、教えてくれませんか・・・」
男性もしゃがみ込む。
「コウタ。君は?」
「・・・チナツ。」
「じゃあチナツちゃん、また俺と会ってくれる?」
「会うぅ・・・・」
コウタのシャツの裾を掴んだ。
嬉しくて涙が止まらなかった。







−終−