オツベルと象

「うれしいな、サンタマリア。」というのを思い出して検索したら宮沢賢治の話だった。

不思議な話だと思う。
読める所もあるだろうから気になる方は是非。




とにかく私は今曲を作っていて、気付いたことがある。
作品から変なオーラみたいなものが出ている。
自分でも知らぬうちにそういうものを作っていた様だ。
意識しないで曲を作っていくと不協和音の数々。
それを直して、直して、人が聞けるような形にしたものはとても偽善的で爽やかである。
まあそれで爽やかな曲が出来た、さあ歌詞を書こう。
いざ書けばなんだか心の闇が滲み出たものになっていた。
書いてるうちは全然気付かない。
寧ろ曲が出来た、と嬉々とした気持ちで歌詞を書いていた。
なのに何故だろう。
滲み出ている。
ていうか、変態だ。
私変態だ。(自覚)


いや、だってね?
人としてあるべき感情の一部が欠如してるから、男女間のうんたらは書けない訳ですよ。
つまりラブソング。
自分だってその「一部」が無いことに苦しんでます。
でもそれを知った振りしてラブソングなんぞ書けない。
じゃあ何をかけばいいんだ?
って事で「哲学系」ですよ。
哲学。
生死とか殺生とかですよ。
テーマが重くなってしまうのは仕方のないことじゃないかと。


でも爽やかロックに殺生て!!
「あたしの肉になればいい」とかって!!
しかも無意識って!!
「生きている事に安堵した老人」って!!
しかも無意識って!!



嘘偽りを書けば爽やかな詞は書けるだろう。
寧ろ私には他人に伝えたい事があるのか?
あるのかもしれない。
いや、ないのか?うーむ・・・


とにかく高校という場所でレコーディングする曲じゃない。
まあ一曲は偽善っぽい曲を書こうかと思う。
所詮、変態。
変態は変態らしい曲でも書きます。
聞いて一発で「ああコイツ、変態だぜ」みたいな。
人を呪った曲とか今に書くだろうな。
とても汚いけど、いいんです排泄物レベルで。
綺麗事は好かない!